さすが群像劇「トラフィック」(2000年,米)の監督だ。多くの人間が脳炎のような症状を呈して死亡し,新型ウイルスが地球規模でまん延していく。ワクチンはなかなか見付からず,根拠のない風評が人々の苛立ちを増幅させる。その状況下で異なる立場に置かれた人たちの人生に万遍なくスポットが当てられる。個々のエピソードを,全体の中に埋没させることなく,逆にくっきり浮かび上がらせていく。その力量は並大抵のものではない。
導入部からして巧い。真っ暗なスクリーンから咳だけが聞こえてくる。そして,空港のロビーで人々がカードを手渡したり握手したりと何らかの形で接触する様子が映される。日常的な光景であるが,観客の目を接触の瞬間に惹き付けるカメラの動きから不穏な空気が伝わってくる。香港,ロンドン,東京などで同じような症状で人々が倒れていく。香港からアメリカに帰国したベスが新型ウイルスで死亡したことが判明した最初の人物だった。
ミッチは,妻ベスの突然の死を受け止められないまま息子をも失い,娘ジョリーを何としても守ろうとする。その中で,妻の秘密が明らかになり,娘との間に確執が生まれる。だからこそ,事態が終息してミッチが妻の写真を見て嗚咽するシーンから万感の思いがあふれ,彼が娘のために用意したプロムのシーンには再生の歓びが感じられる。また,チーヴァー博士は機密情報を恋人にリークする。大切な人を守りたいという情は抑えられない。
一方,人間の負の側面にも触れられる。アメリカではテロ攻撃が疑われ,香港では少しでも早くワクチンを手に入れようとする人々が疫学者を誘拐する。フリー・ジャーナリストのクラムウィディは,ブログを通じて独善的な情報を流す。そのアクセス数の急増は,ウイルスのまん延に匹敵する不気味さを帯びてくる。本来なら生存のために役立つはずの不安や恐怖が人間社会の中で逆にパニックや略奪に結び付く。荒涼とした街の姿が悲しい。
とはいえ,希望に満ちたシーンが最も印象に残る。ウイルスに感染しても発症しないサルがやっと現れる。その表情は,とぼけた感じで愛嬌がある。それをじっと見詰める研究員ヘクストールの,愛情にあふれた嬉しそうな表情もいい。彼女は,全くためらわず自らワクチンを摂取し,ウイルスに感染した父親と接触する。その思い切った行動の源泉が父親に対する愛情であることが分かる。人間同士のつながりはプラス志向でありたいものだ。 |