本作は,イランに住む二組の家族が抱える内部の問題やそこから派生する相互の衝突を描きながら,社会的存在としての人間の心理を凝視している。ある夫婦の離婚問題が娘に波及するのはもちろん,他の夫婦にまで影響を及ぼしていく。その様子が実にサスペンスフルに描かれる。前半で示される日常的な出来事が後半の展開の伏線となっている上,登場人物の性格がしっかり描き込まれており,緻密に練り上げられた脚本に感服させられる。
中流階級の一組の夫婦の出来事が大きな波紋を招くことになる。夫ナデルと妻シミンは14年連れ添った夫婦で,2人の間にはもうすぐ11歳になる利発な娘テルメーがいた。シミンは娘の将来のために外国への移住を望んだが,ナデルは認知症の父を介護する必要からこれを拒否した。シミンは,裁判所で夫の同意がないと離婚できないと言われ,やむを得ず実家に戻って夫と別居する。娘は,母親に戻って欲しいとの思いから父親の下に残った。
下層階級の一組の夫婦が彼らと接したことで歯車を狂わせる。妻ラジエーは,失業中の夫ホッジャトと4歳の娘ソマイェを抱え,夫に内緒でナデルの家で仕事を始めた。初日はナデルの父が家を出て車道を横切ろうとするハプニングがあり,翌日は彼の手をベッドに縛って外出したためナデルと口論になりドアの外に押し出された。その後,ラジエーが流産したため,ナデルが殺人罪の嫌疑を受け,妊娠を知りながら押したのかが問題とされる。
ラジエーが敬虔なムスリムであること,19週目の胎児が人間として扱われることなど,イラン社会の特殊性が色濃く反映している。同時に,子の養育,老人の介護,貧富の格差など,どこにでも存在する状況が織り込まれる。しかも,これらを背景としながら,人間が抱えてしまう秘密と嘘,そしてこれによって生じる不可逆な波紋の怖さと切なさを暴いているのが凄い。ナデルもラジエーも事態の成行きの中で秘密を抱えて苦しむことになる。
また,ナデルもシミンも幸せを求めているが,2人の視線がすれ違ったまま,問題は何も解決しない。冒頭で,2人が横に並んでカメラ(裁判官)に向かって各々自分の主張を述べる。ラジエーとは円満な解決に至らず,家族内部でもテルメーの願いは通じない。そして,テルメーが裁判官に両親のどちらと暮らすかの決断を話す間,両親が廊下で待っているシーンで終わる。思い通りにならない現実にやり切れなさを抱えて,なお人生は続く。