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  『ジョージ・ハリスン/
 リヴィング・イン・ザ・マテリアル
 ・ワールド』
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 ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(安永五郎バージョン)

© 2011 GROVE STREET PRODUCTIONS LIMITED. © George Harrison © Harrison Family © Apple Corps Ltd © Jean-Marie Perier © Photos 12 © Dezo Hoffman © Mike McCartney

『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(GEORGE HARRISON:LIVING IN THE MATERIAL WORLD)
〜聖人に近づいたビートルズ"瞑想する男"〜

(2011年 アメリカ 3時間30分)
監督:マーティン・スコセッシ 
出演:ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、
    リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ジョン・レノン

2011年11月19日(土)〜12月2日(金)、角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、TOHOシネマズ六本木、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、他期間限定公開
公式サイト⇒ http://www.gh-movie.jp/
 ビートルズは来年、公式デビュー50周年を迎える。ポップスグループだった4人の若者は、ロック史を塗り替える偉業を成し遂げて歴史になった。ビートルズと言えば“ジョンとポール”だが、もう一人「静かなビートルズ」と言われたジョージ・ハリスンのドキュメンタリー映画がやってきた。ビートルズ“50周年”前祝いか、ジョージ没後10年か、天才ジョンとポールより先に“第3の男”の軌跡をたどれるのは自ら名付けた「ダークホース」(アルバム名)の強みか。しかも監督があのマーティン・スコセッシ。古くはザ・バンド解散コンサートの「ラスト・ワルツ」(78年)、最近ではストーンズ「シャイン・ア・ライト」(08年)、ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」(05年)を撮ったロックフリークだから、同世代人にはキャッチコピー通り“至福の3時間半”に違いない。

  ビートルマニアは今も世界中に山ほどいて、アルバム(LP、CD)正規版、各国版、海賊版含め500枚、シングル各種全作コレクション自慢といえどもまだ初心者から中級に潜り込んだ程度。すでにあらゆることが語り尽くされた彼らに今さら付け加えることなど何もない。だが、あえて「ビートルズなんて知らないよ」という方に…。 “ ジョージの記録映画”は途中休憩あり、前半はビートルズ時代、後半はソロ活動以降と分かれ、当然ジョージも別人のような表情や言動を見せる。

© 2011 GROVE STREET PRODUCTIONS LIMITED. © George Harrison © Harrison Family © Apple Corps Ltd © Jean-Marie Perier © Photos 12 © Dezo Hoffman © Mike McCartney

【ビートルズ時代】
あまりにも偉大だったジョンとポールの陰に隠れ、リードギタリストでありながら控えめな存在に終始したジョージ。前半で初耳というエピソードはほとんどない。中でメンバー3人によるジョージの思い出エピソードが“新発見”だ。

 @ジョン「『レボリューションNo.9』(アルバム『ザ・ビートルズ』所収=69年)はヨーコとジョージの勧めで作った」。この曲は親しみやすいビートルズ楽曲の中で、タイトル通り革命的&前衛的で多重録音を駆使した曲。前衛芸術家ヨーコにインスパイアされたであろうことは間違いないが、メンバーの中でも1人ぐらいは、と思ったら、それがジョージだった。驚き…。
世界に数多いコピーバンドで日本でも一流のそっくりさん「パロッツ」を取材した時、「何でもコピー出来る」と豪語する彼らに「レボリューションNo.9は?」と聞いたら顔を見合わせたものだ。つまりコピーは出来ない。地味なはずのジョージがジョンとヨーコによる前衛アートをビートルズに注入する役目を果たしていた…。

Aポールはジョージともふだんは仲がいいが、終盤のアルバム制作ではポールがますます完全主義者になりジョージに厳しい注文を出してもめた。「『ヘイ・ジュード』(68年=シングル)を僕がピアノを弾くと、ジョージがギターでカバーするように弾く。次のフレーズでも同じように弾くので『止めてくれ』と言ったら気まずくなり緊張がはしった」。
4人がバラバラな状態で作ったアルバム『ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム=2枚組、68年)ではすべてを仕切ろうとするポールに温厚なジョージも切れて“脱退”騒ぎになった。その原因は「ヘイ・ジュード」にあったのだった。

Bリンゴは「自分がへたなことを自覚して『ビートルズを辞める』」と宣言し、翌日イタリアへ。ジョージ脱退騒動の1年前。この時はメンバー間で話し合い、1か月足らずでリンゴは復帰。「帰ってきたらジョージが部屋を花でいっぱいにして出迎えてくれた」。  メンバーたちが「誰といつ、どういうやりとりをしたか」を本人の口から聞けた映画のエピソードがジョージの人となり、音楽性までを言い尽くしていた。
@はジョージならではの幅広く柔軟なセンス、サウンドへのこだわり。Aはリードギタリストとしてのプライドとポールの力量への敬意。Bは優しさ。メンバーの誰よりも友人が多く、誰からも好かれる人間性、ということになる。

 ビートルズはジョンとポールが出会ったことから“核融合反応”を起こし猛烈な馬力でグイグイと引っ張って来て、終盤にはジョージもそこに割って入ったことは衆知の事実。解散(70年)後、ジョージはメンバーが話したエピソードの3つの要素からアーティストとして独自の地位を確立していった、と分かる。それがジョージが豊かに花開き、人生哲学を極める第2部だ。


© 2011 GROVE STREET PRODUCTIONS LIMITED. © George Harrison © Harrison Family © Apple Corps Ltd © Jean-Marie Perier © Photos 12 © Dezo Hoffman © Mike McCartney

【ソロ時代】
ジョンとポールほど知られていないが、ジョージの独自性は2人に負けないぐらい際立った。ソングライターとしては「タックスマン」や「恋をするなら」など初期の曲で存在を示し「ザ・ビートルズ」に収録された「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はジョージのもうひとつの代表曲としてこの映画でも2度(別バージョンで)流れている。

 完成度にこだわるポールをもうならせたのはアルバム「アビイ・ロード」収録の2曲「サムシング」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」。ビートルズ実質最後のアルバムにようやく間に合った(レノン&マッカートニーに肩を並べた)ところが控えめな“弟分”ジョージらしい。ご存知の通り「サムシング」はジョージとしては初めてビートルズのシングル盤A面(ジョンの「カム・トゥゲザー」と両A面)になったのだから第3のソングライターとして仲間にも世間にも認められたわけだ。ポールはジョージの死後、2度目の来日公演で「ジョージが好きだったウクレレで「サムシング」を思い入れたっぷりに歌って大阪ドームをしんみりさせた。 

 シタールの音楽から始まり宗教、哲学にまで及んだインドへの傾倒はビートルズ時代からよく知られているが、ジョージとディラン、トム・ペティ、ジェフ・リンによる覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズの秘話、オリヴィア夫人や息子ダニーが語るジョージの実像など第2部は未発表映像が多く、改めてジョージに迫った感がある。  ここでも最も興味深かったのはジョージの盟友エリック・クラプトンの“ビートルズ観”だった。最初のパティ夫人をめぐるあつれきは有名だが、それで友情が損なわれるでもなく、ジョージの代表曲「ホワイル・マイ・ギター〜」ではエリックがギターを弾くなど、ポールも含め、ビートルズとの親交は厚かった。映画で「ビートルズに誘われた」ことを明かしたエリックは「なぜ入らなかったか」という質問に「彼らは特別なバンドで特別にメンバーが親密だった」と言っている。エリックほどの腕前があってもすでに10年以上やってきたメンバーに割って入るのは困難だった。これは意外だった。

  このころのビートルズは4人ともバラバラ、スタジオに4人がそろうのも珍しく、最初からプロデュースを務めてきたジョージ・マーティンすら逃げ出した時代。それでもエリックの目には極めて親密に写った。そこにビートルズの秘密がある、と感じた。けんかしていても結束は極めて緊密に見えたのだから。 ジョージはもともと静かで優しい男だったが、ビートルズ時代、終盤にインド哲学から精神性に目覚め、ソロになってからはその性向が顕著になった。

 ソングライターとしての才能を爆発させた3枚組の初ソロアルバム「オール・シングス・マスト・パス」(すべては過去になる=諸行無常という訳もある)、「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(物質世界に生きて)」といったアルバム・タイトルに彼の思想性がはっきり表れている。ジョージは伸びた髪とヒゲ、風貌の通り、聖人の域に近づいたのだろうか。

 ソロになって初めて手懸けたビッグイベントが『バングラデシュ救済コンサート』(71年8月)でリンゴ、クラプトン、レオン・ラッセルのほか、ディランも顔を見せるという超豪華メンバーで、アルバムと映画も制作した。後に『ライブ・エイド』などミュージシャンたちの救済コンサートが盛んになるが、ビートルズが何でも一番だったように、ジョージもこの分野ではビートルズの伝統をしっかりと受け継いだのだった。 3時間半を超える長い映画のラスト近く、「今やりたいこと」を問われてジョージは「木を植えたい、静寂が欲しい、瞑想したい」の3つを挙げた。こんなミュージシャンはほかにいない。彼がどのような地点に到達していたか、分かろうというものだ。

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 ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(江口由美バージョン)

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『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』(GEORGE HARRISON:LIVING IN THE MATERIAL WORLD)
〜ジョージ・ハリスンの全てが甦る!
             必見の音楽ドキュメンタリー〜

(2011年 アメリカ 3時間30分)
監督:マーティン・スコセッシ 
出演:ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ジョン・レノン他


2011年11月19日(土)〜12月2日(金)、角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、TOHOシネマズ六本木、大阪ステーションシティシネマ、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、他期間限定公開
公式サイト⇒ http://www.gh-movie.jp/
 ビートルズのメジャーな曲は知っているし、ジョージ・ハリスンがビートルズの一員であることは知っていても、どんな顔だとか、どんな曲を書いていたかは正直定かではなかった。そんな私でも、観終わった後にすっかりファンになっている、まさにそんな映画だ。ビートルズ解散後も1人のアーティストとして、またはそれ以上に様々な功績を残し、今や伝説となっているジョージ・ハリスンをあのマーティン・スコセッシ監督が3時間半、2部構成のドキュメンタリーに仕立てあげた。その時点で歴史に残る音楽ドキュメンタリーとなることお墨付きだ。

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 ビートルズ時代が中心の第1部では、リーゼント風ヘアスタイルのジョージや、結成当時でまだ恰好をつけた青年バンド、ビートルズの初々しい映像に目が釘付けとなることだろう。兄弟からやんちゃと言われたジョージのバイクにまたがる写真など、ビートルズで落ち着いた雰囲気を見せる彼とは別人の茶目っ気を見せる。メジャーデビューを果たしてからは、普通ならビートルズの成長物語となるところだが、ジョージ側から切り取ったビートルズはまた違った素顔が映し出され興味深い。シダール奏者との出会いがジョージの音楽性からスピリットまで大きな影響を及ぼしていく中、ビートルズの演奏同様に、心動かされるシダールの演奏を聴き、ジョージへ大きなシンパシーを感じた。

 第2部は、ジョージ作で初のA面曲となった『サムシング』や『ヒア・カムズ・ザ・サン』誕生、そしてリンゴがレコーディングをエスケープした後にジョージが花でいっぱいにしてリンゴを受け入れたという感動エピソードが明かされ、バンドの解散、そして本当の自分探しが始まる様子が描かれる。LSDを服用したものの立ち直ることができたのは、やはりシダール、そしてインド哲学に傾倒していったことが大きい。物質文明と精神世界という相反する世界間のバランスをとりながら、創作を通じて自らの在り方を表現していったジョージ。モンティー・パイソンへの支援(映画一本分も!)や、他分野アーティストとの交流など、著名人たちのインタビュー、そして生前のジョージ自身のインタビューが自分が興味を持てる人物たちと公平に付き合い、自身を冷静に見つめる人物像を雄弁に語っている。

© 2011 GROVE STREET PRODUCTIONS LIMITED. © George Harrison © Harrison Family © Apple Corps Ltd © Jean-Marie Perier © Photos 12 © Dezo Hoffman © Mike McCartney

 ジョン・レノンにオノ・ヨーコがいたように、ジョージにも彼を支えた妻がいた。彼のそばで支えた妻だからこそ語れる最期の瞬間のエピソードは、ジョージが一生をかけて自分自身の精神とむきあってきた結果に違いない。自由を愛しながらも、家族や周りの人を大事にしたジョージ。作品を彩る音楽や秘蔵映像に満たされた気持ちになる一方、観終って心に残ったのは人間の大事な部分をブレることなく見つめ続けた男の崇高な姿だった。
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