「ミキ」と一致するもの

yurushi-bu-550-1.jpg

娘を殺された元夫婦と、犯行時に未成年だった加害者の女性・夏奈。癒やしようのない苦しみに囚われた3人の葛藤を見すえ、魂の救済、赦しという深遠なテーマに真っ向から挑んだ問題作『赦し』。いよいよ 3月18日(土)より、ユーロスペース、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開関西ではシネ・リーブル梅田ほかにて3月24日(金)より公開となります。


怒りと憎悪の呪縛に囚われた主人公、克を演じるのは、フィリピンの巨匠ブリランテ・メンドーサと組んだ主演作『義足のボクサー GENSAN PUNCH』が記憶に新しい尚玄。元妻の澄子に扮するのは、第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞したMEGUMI。そして、映画デビュー作『渇き。』などで独特の存在感を示してきた新進女優、松浦りょうが夏奈役に大抜擢。監督は世界各国の映画祭で話題を呼んできた日本在住の気鋭のインド人監督アンシュル・チョウハンの最新作です。


【日時】 3月11日(土) 12:00回終了後(13:38~13:50)
【場所】 シネ・リーブル梅田
            (大阪市北区大淀中1丁目1−88 梅田スカイビル タワーイースト3・4階)
【登壇者】 尚玄、松浦りょう、アンシュル・チョウハン監督 ※敬称略



yurushi-bu-550-2.jpgそんな本作の公開に先立ち、3月11日(土)に大阪アジアン映画祭 コンペティション部門で上映され、主演の尚玄さん、夏奈役に抜擢された松浦りょうさん、監督のアンシュル・チョウハンが登壇し、舞台挨拶とQ&Aを行いました。
 

まずは、監督が「ご来場いただきありがとうございます。大阪アジアン映画祭で上映でき、皆さんの前で挨拶できることを嬉しく思っています。皆さんにこの映画を楽しんでいただけたのか気になっているので、Q&Aを楽しみにしています」、尚玄さんは「ジャパンプレミアで大阪アジアン映画祭に戻ってこられて嬉しいです」と挨拶し、Q&Aに。


yurushi-main-500.jpg最初に、「大変興味深く拝見させていただきました。観た人それぞれの視点がある作品だと思います。特に、ポスターにも使われている松浦さんの振り返りのショットが印象的でした。彼女の表情にどのような演出をされたのでしょうか」という質問に対して監督は、「これは12テイク目でした。こういうものにしたいというイメージが自分の中にあったので、テイクを重ねて彼女の肩の位置や傾き加減など細かく指示をしました」と明かし、「映画の中でも特に大事なシーンになるので、観客の皆さんを見ているのか見ていないのか絶妙なバランスを意識して、自分の目指すイメージを意識して撮影しました」と、重要なシーンをどう見せるかへのこだわりを語りました。


次に、「当初の脚本から撮影時の脚本に落とし込むまでに大きく変わったことはありますか?」という質問に対して監督は、「2018年に初めて脚本を読んだ時は映画化する気持ちまで持っていけなかった」そうですが、その後、「コロナになって誰もが家に閉じこもるようになった時に読み返して、これは映画化すべきだと思いました。そこから日本で撮影できるように、少年法など日本の法律に沿って変わった部分や実際に裁判へ赴いて細かいところ調査しながら脚本を改正していきました」と時流や日本に合わせた脚本の変遷について明かしました。


yurushi-500-2.jpg最後に、尚玄さんと松浦さんへの「役作りの過程で一番難しかったこと」という質問について尚玄さんは、「全てが大変でした」と前置きし、中でも「僕は当事者ではないので、当事者じゃない人間がその人が抱えているものをリアルに表現できるのかということにすごく真摯に向き合いました」と役作りへの思いを語り、「(松浦)りょうちゃんと対峙している場面は芝居ではなかったから、監督の指示もありましたし、撮影が終わるまで一言も話さなかったです」と緊張感が漂っていた対峙シーンの裏側を明かしました。さらに、続けて「監督が早い段階で衣装を用意してくれたことがすごく幸運でした」と話し、「3週間前から衣装を着て、克として生活していました」と真摯に役に向き合い続けた日々を明かしました。


yurushi-500-1.jpgそして、松浦さんは、「私も、殺人を犯したことも刑務所に入ったこともないので、役作りとして経験できることではないし、殺人を犯してしまった方のインタビューを見て、役に落とし込んで考えました。その上で、刑務所の生活にできるだけ近い生活をして孤独を知ることで役を作り上げていきました。その時間が一番しんどかったです」と役作りについて明かしました。

観客から大きな拍手で見送られ、舞台挨拶は終了しました。



■監督・編集:アンシュル・チョウハン(『コントラ KONTORA』
■撮影:ピーター・モエン・ジェンセン 音楽:香田悠真
■出演:尚玄 MEGUMI 松浦りょう 生津徹 藤森慎吾 真矢ミキ
■プロデューサー:山下貴裕 茂木美那 アンシュル・チョウハン
■エグゼクティブ・プロデューサー:サイモン・クロウ ランカスター文江
■アソシエイト・プロデューサー:前田けゑ 澤繁実 岡田真一 木川良弘
■脚本:ランド・コルター 
■助成:文化庁 
■製作プロダクション:KOWATANDA FILMS、YAMAN FILMS 
■配給:彩プロ
■2022年/日本/日本語/カラー/2:1/5.1ch/98分
■原題(英語題):DECEMBER 
■©2022 December Production Committee. All rights reserved
公式サイト:https://yurushi-movie.com/

3月18日(土)より、ユーロスペース、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

3月24日㈮より、シネ・リーブル梅田/シネマート心斎橋/アップリンク京都/シネ・リーブル神戸にて


(オフィシャル・レポートより)

本広監督(シネルフレ江口).JPG
 
人材育成と実験の新レーベルで「メジャー映画では許されないことをどこまで追求できるか」
『ビューティフルドリーマー』本広克行監督インタビュー
 
 日本映画界の鬼才監督による野心的な企画と若い才能がタッグを組み、低予算で制約のない自由な映画づくりを目指す現代版ATGとも言える新レーベル<<シネマラボ>>の第一弾作品『ビューティフルドリーマー』が11月6日(金)よりシネ・リーブル梅田他にて絶賛公開中だ。
監督は『踊る大捜査線』シリーズから『サマータイムマシン・ブルース』『幕が上がる』まで、ヒットメーカーでありながら多彩な作品に取り組んでいる本広克行。押井守の脚本「夢見る人」を大学の映画研究会(映研)を舞台にした物語として映画化。いわくつきの台本の映画化に挑む映研メンバーの奮闘ぶりから、モノづくりの楽しさが伝わってくる青春映画だ。リーダー的存在で監督としてメンバーを引っ張るサラ役には自身も大学時代から映画サークルで映画を撮り、多彩な活動を行なっている小川紗良。他にも今注目の俳優から劇中劇に登場するベテラン俳優が本人役で出演。そして映画研究会の先輩役サイトウタクミで斎藤工も参加している。
 本作の本広克行監督にお話を伺った。
 
 

■「次は自分の番」自身のキャリア形成から感じた映画界の人材育成と、まず取り組んださぬき映画祭。

―――コロナ禍で映画監督自身が様々な活動や今までの枠に捉われない映画製作活動を立ち上げつつある中、それ以前にメジャー映画とインディペンデント映画の間に位置するような新しい監督絶対主義のレーベルを立ち上げ、作品を公開するのは非常に注目すべき動きだと思います。<シネマラボ>を立ち上げるにあたり、どのような問題意識をお持ちだったのですか?
本広:『踊る大捜査線』シリーズのようなビッグバジェットで、プロデューサーが10人もいて、芸能界のありとあらゆる人がキャスティングされるような映画を我ながらよくできたなと思うし、もう終わってもいいと思うぐらい達成感がありました。ただ自分が映画を撮ったりドラマを演出できたのは、引っ張り上げてくれる先輩たちがいたからであり、今度は自分がその立場になる番です。『海猿』の羽住英一郎をはじめ、後輩たちが皆ヒットメーカーになってきましたが、自分が所属していた会社(ROBOT)の直系の後輩ではなく、日本映画界全体を見渡して、素晴らしい才能を持ちながらも彷徨っている人たちがたくさんいるはずだと思ったのです。
 
―――監督という仕事はある意味孤独な職業ですから、かつての撮影所システムとは違い、先輩に教えてもらうということがしにくい環境になっていますね。
本広:映画界での人材育成について思いを巡らせていた頃、偶然山田洋次監督にお会いし、昔は小津監督や黒澤監督が映画サロンを作り、そこから新人を抜擢したり、映画の文化度を上げていったというお話を聞いたのです。そこで自分に何ができるかと考えたところ、思い浮かんだのが映画祭でした。当時現役の映画監督で映画祭を立ち上げたのは僕が最初だったと思います。さぬき映画祭では高松に色々な映画人を呼び、若い俳優たちと合わせ、そこに来れば仕事が見つかるような場所になっていきました。ちょっと落ち着いて周りを見渡すと、行定さんをはじめ、プロデューサーの方や俳優の方なども地方で次々と映画祭を立ち上げる動きが起こってきて、これなら大丈夫だなと思ったのです。
 
 

■大林監督に言われていた言葉、「君たちの世代でもう一度ATGのような映画を作れ」

―――確かに映画祭は映画人同士の交流から新しいプロジェクトや仕事が生まれる面も大きいですね。
本広:映画祭には7年間携わり、その後に構想しはじめたのが<シネマラボ>です。今、自主映画の制作費は200~300万円が相場で、一方東宝や東映、松竹などからオファーをいただくビッグバジェットの映画は2~3億円ぐらいです。やはり今まで低予算でしか映画を作ってこなかった人がいきなりビッグバジェットの映画を作るのはしんどいので、中バジェットのものを<シネマラボ>という新レーベルを掲げて作っていってはどうかと。また僕が大きな影響を受けている大林監督によく言われていたのが「君たちの世代でもう一度ATGのような映画を作れ」。
 
―――大林監督からそんな声かけをされていたんですね。
本広:僕にとっては神様みたいな人ですから、大林さんに褒められようと思って(笑)「お前、よく頑張っているな」とか、「お前の映画、面白かったぞ」といつも僕の頭を子どもみたいに撫でてくださるんですよ。山田監督の映画サロンにも参加しているのですが、山田監督は最近の若者はなかなか動かないとボヤかれる一方、僕のことを可愛がってださり、ベルリン国際映画祭への参加を断っても、さぬき映画祭には来てくれる(笑)やはり尊敬している先輩たちから言われたことを実行していきたいし、若者たちを引き上げる場を作ろうと今回は押井守さんに原案を書いていただきました。そこからは結構時間がかかりましたね。
 
 
 
サブ4Q8A6720 - コピー.jpg
 

■小川沙良との出会いで「監督役がここにいる」と確信。

―――押井さんに依頼されたのはいつ頃だったのですか?
本広:みんなで一緒に湯河原の温泉に行って企画会議をした時、僕は文化祭の前日を何度も何度も体験する話にしたいと伝えると、押井さんが書いて下さったのは軽音楽部の部員が何度も文化祭の前日に戻る話だった。僕の構想と似てはいるのですが、映画研究部なら僕の経験も活かせるし、その頃に小川沙良さんと出会い「監督役がここにいる」と思った。そうやってタイミングが合うまで2年ぐらいかかりましたね。
 
―――さぬき映画祭で小川さんは監督作を持参したのですか?
本広:早稲田大学の映研に監督をしている小川沙良さんがいるというのは当時業界内でも有名だったんです。しかも小川さんは是枝ゼミで、是枝さんからも話を聞いていたので、僕からオファーしたところ快諾していただきました。監督役のエチュードができる人はなかなかいないでから、小川さんがいなければ映画づくりは難航していたと思います。
 
 

■ずっと“ビューティフルドリーマー”の人たちの物語。続編を作り、続けていきたい。

―――サラ役の小川さんは、聡明かつ決断力のある見事な監督ぶりでした。昔の映研は70年代の香りを引きずっているような異質な雰囲気がありましたが、本作の映研はとても明るい雰囲気ですね。
本広:早稲田大学の映研をはじめ、今は女子部員がクラブを引っ張っているんですよ。僕らの時代はモスグリーンの汚いジャンパーを羽織った男子部員がぞろぞろいたのですが、今の男子部員はもっぱらアッシー的存在ですよ。それもおもしろいなと思って、本作では描ききれなかった部分は「続編を作らせてください」と会社にお願いしているところです。ずっと続けていきたいし、この作品はずっとビューティフルドリーマーの人たちのお話でもあります。僕らも一つの映画が公開されても、また次の映画を作ってとずっと続いていくわけですから不思議な社会人だし、ビューティフルドリーマーってこういうことなのかなと。続編を作る時、小川さんが多忙を極めて出演するのが難しくなったら、次の世代の映研を育てればいい。小川さんには本作の斎藤工さんのような先輩部員として1日だけ撮影に参加してもらい、続けていくこともできるなと思っているんです。
 
―――セリフを書かず、エチュードの手法を取り入れての撮影だったそうですが、従来のビッグバジェット作品とは違う作り方を試みての感想は?
本広:演劇の演出をやっていることもあり、そんなに違和感はなかったですね。脚本どおりだとつまらないとか、セリフが停滞してしまうとき、どうやっておもしろくさせようかと考えてエチュードを取り入れることもあります。『UDON』(06)では実際にうどん屋で働いている人に、普段しゃべっていることを言ってもらい、お芝居をしていないドキュメンタリー的な作り方になったのですが、そういう演出のテクニックを今回は全て使えたのではないでしょうか。書かれたセリフを的確に言うのもおもしろいけれど、「こんな脚本なのに、こんなに面白くできるの?」というところを目指したいし、それを目指していつもやっていますね。
 
―――確かに、セリフのやりとりに躍動感がありました。
本広:若者の言葉は体の動かし方によって出てくる言葉も違ってくるので、それをなるべく生の状態で収録しています。今までの映画はガンマイクで上から音を拾っていましたが、最近は演者全員にワイヤレスマイクを付け、録音部がミキシングをするやり方が主流です。今回は録音部に若手を投入し、やる気を出しているので、次はビッグバジェットの映画に登用し、技術部門の新人育成も行えました。もちろん映画はヒットしてほしいですが、<シネマラボ>ですから俳優や映画に関わる各部門の人材育成の場でもありたい。自分が思っている以上に映画界はそう急には変われない。でも「実験ですから」と言うと色々な機材を貸していただき、様々なサポートをしていただけたのはうれしかったですね。
 
―――小川さんをはじめ、キャスティングは本広監督が直接オファーをするという形が多かったそうですね。
本広:全員思い通りのキャスティングできると、大ヒット作にはならなくても『サマータイムマシン・ブルース』(05)のようにずっと愛される気がします。『幕が上がる』(15)のメンバーとは今でもお付き合いがありますし、みんなで考えながら作った作品はお仕事という感じではなく、すごく愛情深いものになっていますね。
 
 
メイン写真 - コピー.jpg

 

■メジャー映画では許されない、ATG作品のようなメタ構造をどこまで追求できるか。

―――一見青春映画ですが、メタ構造にメタ構造が重なって、もう一度観たくなるような映画ファンを唸らせる奥深さがあります。ここまでメタにメタを重ねたのはなぜですか?
本広:メタ構造ものが好きなんです。演劇でいきなりひっくり返ったり、急に何かが起こったと思ったらそれもお芝居だったりするようなどんでん返しも大好きなのですが、映画ではなかなか急に空気は変わるようなものができない。どうすれば映画で物語を逸脱することができるのかをずっと考えていました。メタ構造は調べれば調べるほど深いところに入っていくんですよ。
 
例えば押井さんはアニメで初めてメタ構造を実践した人で、僕はそれを学生時代に見て大きな衝撃を受け「押井信者」になったのですが、その押井さんは演劇から影響を受けたそうです。それで寺山修司さんの映像や本に触れていくうちに、作品のことを考えることはおもしろいなと思えてきました。起承転結のある映画はずっとやってきたし、ちゃんと作れるのだけれど、そうではないものを作りたい。今村昌平さんの学校に行っていたのですが、今村さんも『人間蒸発』(67)でそういう作品を作っていて、今村さん自身が映画に登場し「このお話は全部嘘である」と言い放つと、セットがバラバラと崩れていくんです。本当に衝撃的でしたが、当時のATG作品は構造をぶっ壊すというコンセプトなので、普通のメジャー映画では絶対許してもらえないことができた。今のメジャー映画ではメタ構造といってもどうしても緩くなってしまうので、そこをどこまで追求できるか。今回はその面でも実験的な試みをしています。
 
 

■映画人の交流の場が大事。もっと混じり合い、新しい才能を発掘したい。

―――俳優の名前と役名も同じですし、色々な垣根が曖昧なのも魅力的ですね。
本広:大林監督の影響でもあります。遺作の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(20)はご自身も出演されているし、物語でありながらも僕らに「戦争を起こすな」という遺言を伝えているようにも見える。本当にすごいです。他の大ベテランの皆さんも本当に元気で僕の作品を「普通だな、もう見飽きたよ」とバッサリ。あまりにも尖ったものは作りにくいけれど、例えばこの作品を見て疑問を感じた人がググり、また違う感想と出会って、感想が育っていくという点でもこの作品の実験的側面を感じます。今、是枝さんが映画人の交流の場を作ってくださっていますが、これは本当に大事なんです。どうすれば皆がもっと混じり合うのか。小学生ぐらいでもすごい才能がいますし、そういう才能を発掘したいし、もっと外向きの考え方でありたい。今はそういう思いですね。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『ビューティフルドリーマー』
(2020年 日本 75分)
監督:本広克行
原案:押井守『夢みる人』  
出演:小川紗良、藤谷理子、神尾楓珠、内田倭史、ヒロシエリ、森田甘路、伊織もえ、かざり、斎藤工、秋元才加、池田純矢、飯島寛騎、福田愛依、本保佳音、瀧川英次、齋藤潤、田部文珠香、升毅
11月6日(金)よりシネ・リーブル梅田他全国順次公開
配給:エイベックス・ピクチャーズ
公式サイト → https://beautifuldreamer-movie.jp/
©2020 映画「ビューティフルドリーマー」製作委員会 
 

OUTH-550.jpg

DSCN7986.jpg

津軽三味線奏者、高橋竹山を通して見える日本の地方と音楽の在りよう
『津軽のカマリ』大西功一監督インタビュー
 
明治末期に生まれ、幼少期に視力を失い、三味線を弾き門付けをしながら生きてきた初代 高橋竹山。後に津軽三味線の名人と呼ばれ、数多くの津軽民謡を編曲し、独奏者としてその名を残した竹山の人生とその演奏が蘇るドキュメンタリー映画『津軽のカマリ』が、2019年1月11日(金)よりシネ・リーブル梅田、1月12日(土)より京都シネマ、今冬元町映画館ほか全国順次公開される。
 
監督は前作『スケッチ・オブ・ミャーク』で宮古島の「古謡」や「神歌」、御嶽(うたぎ)での神事に密着した大西功一監督。竹山の素晴らしい演奏やその苦節の人生を体感できるだけでなく、沖縄、滋賀とロケを敢行し、普遍的な音楽、土地の歴史を追求する壮大な作品に仕上がっている。大西功一監督に、お話を伺った。
 

津軽のカマリmain.jpeg

 

■学生時代から興味を持っていた高橋竹山を通して、津軽のカマリ(匂い)を描く

――――いつ頃から、津軽三味線の第一人者である高橋竹山さんに注目していたのですか?
大西:学生時代にテレビ等多くで取り上げられていたこともあり、竹山さんのことは知っていましたし、興味を持っていました。病気のせいで盲目となり、何もしなければ飢えてしまうような状況の中、音楽で食べていくという時代ではなかった(大正〜昭和初期)にも関わらず、なんとか津軽三味線を弾いて生きるしか、竹山には道はなかった。そこから昔の日本の風景が見えてきます。僕達が生まれた頃には音楽産業が既に出来上がっていたので、お金を出して音楽を聞くことが当たり前になっていますが、元々音楽はそうではなかった。そういう元々の日本の地方の在りよう、音楽の在りようが、竹山を通して見えてきました。
 
――――前作の『スケッチ・オブ・ミャーク』では、宮古島での「古謡」や「神歌」、女性が中心となって執り行う御嶽(うたぎ)での神事に密着していました。今回はぐっと北上しましたね。
大西:98年に鈍行列車で東北各地を廻ったのですが、北上した津軽半島の十三湖の風景や、湖と海とが繋がる境界に架けられた橋から流氷の大群、そして無数の地蔵の姿を見た時、東北への想像を遥かに超える巨大な悲しみをたたえた風景やその絶叫を聞き、いつかは津軽を題材に映画を撮りたいと思いました。
時が経ち、『スケッチ・オブ・ミャーク』公開後に次回作のことを考え、津軽を再訪しました。僕の知り合いが竹山と同じ平内町出身というご縁で、初代・高橋竹山の弟子達が作った竹伸会の民謡教室を見学させていただいた時、竹山の直弟子、八戸竹清さんや、竹山の孫、哲子さんとの出会いがありました。また、僕はイタコ(東北北部で口寄せを行う巫女)が唱える呪文や歌のように聞こえる音が歌の原点のように思え、自分にとって大事なものとして、その音源を所有して聞いていることを話すと、哲子さんが「私のおばあちゃんがイタコだった」とおっしゃって。翌日お宅にお邪魔させていただき、竹山の奥様、ナヨさんが使った道具を見せてもらったり、祭文が入ったカセットテープを聞かせていただきました。本編でもたくさんその声が入っています。また、十三湖を再訪すると、流氷はなかったものの、同じ土地の空気感を思い出しました。旅行を終え、東京に帰った時に、竹山を中心にして津軽を描けばいいのではないか。竹山の原体験を描くことで、津軽を描くことにもなりますし、縦の歴史にも繋がっていく。僕が映画で映し出そうとしたことが津軽のカマリ(匂い)だし、竹山が音で表そうとしたのも津軽のカマリですから。
 
 
津軽のカマリmain2.jpeg

■竹山自身が「津軽のカマリ」を超えて、宇宙のような普遍の領域まで到達している

――――私は本作で初めて高橋竹山さんの三味線演奏を聞いたのですが、非常に軽やかで小気味好く、感動しました。大西監督が感じる竹山さんの三味線の魅力とは?
大西:ブラジル民謡とか沖縄の音楽は、根底には悲しみがあるものの、すごくカラッとして洗練されている感じがするのですが、竹山の三味線もそうですよね。竹山の生い立ちを聞いて、ブルース的なものを想像していると少しズレを感じると思うのですが、そのカラッとした感じがいい。後は、竹山自身が津軽のカマリを超えて、世界に通じる人間の本質や生命、ひょっとしたら宇宙のような普遍の領域まで到達している感じがします。
 
――――今回、高橋竹山さんの色々な音源や映像が盛り込まれていますが、どのようにそれらを選択し、編集していったのですか?
大西:竹山は有名でしたし、テレビでも度々紹介されていたので、アーカイヴがあることには安心していました。今回は青森放送に多くをご協力いただいています。加えて、渋谷ジァンジァンという小劇場が作っていた竹山のビデオ映像を採用しています。晩年のものはドキュメンタリー映画『烈 ~津軽三味線師・高橋竹山~』の映像をお借りしました。
竹山が最後に三味線を手にしたという夜越山温泉の映像は、施設のスタッフが撮影したホームビデオです。
 
――――最後の温泉での演奏は、生涯を津軽三味線と共に生きた竹山の生き様が生々しく伝わってきました。厳しい自然と対峙してきた津軽の人々の歴史にも触れていますね。
大西:米作がメインだったので、豊作の時は米を高値で取引でき、人々も豊かだったそうですが、冷害が多いのでその時は大変だったと思います。労働歌も昔は今みたいに音楽を再生する装置がないので、単純作業をしている時に自分で歌いながら作業をした方が、気がまぎれる。そんな中にどんどん歌が生まれてくるし、替え歌も生まれてくる。姑や夫の文句の替え歌も、きっとあったと思いますよ(笑)。
 

津軽のカマリsub01.jpeg

■民謡の歌い手より格下だった三味線弾きが、独奏でレコードデビューするまで

――――確かにそれは気が紛れます(笑)竹山さんは、元々歌の伴奏者で、後に今でいうインスト奏者として独立されたのですね。
大西:最初、師匠の戸田重次郎から基本の独奏を3曲教わっています。歌のある曲のメロディーを三味線で弾く曲弾きと呼ばれるもので、当時は津軽民謡もその3曲ぐらいしかなかった。しかもほとんどは歌が聞きたいので、三味線の独奏を求められることは滅多になかったのです。
当時、津軽民謡の大御所、成田雲竹は青森の方々に出向いて土着の歌を収集し、竹山に伴奏をつけさせました。それで今、津軽民謡がたくさん残っている訳です。竹山自身が編曲しましたから、それを曲弾き(独奏)できるのは自然なことです。
その後、キングレコードの斉藤幸二氏が成田雲竹の伴奏で弾いている竹山の三味線に興味を示し、雲竹を通して竹山と出会います。当時は民謡の歌い手と三味線弾きとはギャラも一桁違い、三味線弾きは見下されていました。でも竹山は三味線だけの演奏を披露することをどうも狙っていたようで、その後キングレコードから「津軽三味線高橋竹山」を53歳で発売し、7万枚のヒットを記録しました。そこから労音から声がかかります。それまではクラッシックを中心に聞く会でしたが、民謡を聞く会を開き、そこで初めて聴衆の前で津軽三味線の独奏を披露して、竹山は大喝采を浴びるのです。
 
――――まさに日本のフュージョン音楽のはしりのような存在ですね。本作では津軽三味線を作るところにもスポットを当て、蚕の糸から弦を作るということで滋賀県でもロケを行っているのも興味深かったです。
大西:これも偶然の出会いだったのですが、『スケッチ・オブ・ミャーク』の上映会をした時に、主催者である陶芸家の友人が近くに三味線の弦を製造する工房があると教えてくれたのです。今はほとんどが化学繊維の糸を弦に使用しており、蚕の糸を使って弦を作る工房は日本では2箇所だけしか残っていないと。7月に行けば、蚕を仕入れるので製造工程を見ることができると教えていただき、撮影しに行きました。竹山も三味線の弦を作ってもらっていたそうです。
 
 
津軽のカマリsub02.jpeg

■沖縄、津軽「土地の慰霊」に繋げたい

――――18歳で既に60代だった竹山に弟子入りし、竹山が亡くなる前年に襲名した二代目高橋竹山さんも本作に登場し、師匠の思いを辿る旅をしています。この旅での狙いは?
大西:竹山は沖縄でひめゆりの塔にも立ち寄り、ステージでは絶句して涙したと本に書かれています。今回、二代目と一緒に沖縄をなぞり、また二代目も久しぶりに沖縄でライブを行いました。もう一つ、東北で飢饉凶作のことを描いていますが、土地の慰霊に繋げたいという気持ちがあります。沖縄のシーンもその意味を込めています。沖縄戦の哀しい事実があると同時に、内地の人も沖縄で戦い亡くなっている。そういうことも伝えたかったのです。
 
――――初代の記憶を辿る旅から、最後は襲名後初となる青森市のライブに結実していきますが、二代目と共に旅をした大西監督から見て、彼女の中にどんな変化を感じましたか?
大西:ライブが俄然良くなったと思っています。沖縄のライブも良かったですし、その後の青森初のライブももっと良くなっていました。今はいい意味で力が抜け、歌声も落ち着きが出ましたね。やはり華があります。
 
――――竹山に話を戻すと、竹山は日本全国を廻りながらも、最後まで津軽を拠点にして活動し続けました。これも竹山らしさを感じる部分だと思うのですが。
大西:戦後に大民謡ブームが起こり、やはり東京で仕事が多いものですから、津軽から腕利きの三味線弾きや民謡の歌い手がみんな東京に流れてしまった。だから青森放送の民謡番組の伴奏は竹山が一人で何時間も伴奏し続けていたそうです。奥様がイタコだったので青森を離れることができないという事情もあったと思いますが。
 
 
津軽のカマリsub04.jpeg

■音楽と喋ることとの境界線は?音楽を掘り下げるうちに本質的なことに到達

――――この作品を見ていると、日本の音楽史を紐解いているようにも見えます。
大西:音楽と喋ることとの境界線って曖昧ではないかと僕は思うんですよ。お経だっていわば歌ですし。鳥の鳴き声も歌以外の何者でもないと捉えています。
 
――――大西監督はかなり若い頃から、普通にレコードで聞くような音楽以外の音も、音楽と捉えていたのですか?
大西:20代後半ぐらいからでしょうか。ロックの歌詞に照らし合わせて、自分自身や社会のことを考えたり、ロックの音自体に現代を生きることの苦しい感覚が重なったり。でもだんだんとロック自体が機能しなくなってきた時代があり、その時に音楽とは、歌とは何だろうと考え始めたのです。そこから『スケッチ・オブ・ミャーク』や竹山に繋がって行きました。もっと本質的なことを見ていかなければいけないと。
 
――――自分が生まれた時代に既にあった音楽から、もっともっと遡る必要があった訳ですね。
大西:それは音楽だけの問題ではなく、社会や生きること、食べることと繋がっていくのです。僕が今、函館で住んでいるのも、食のことを手がけたかったからなのです。
 
――――食に関心を持つようになったのはいつ頃からですか?
大西:『スケッチ・オブ・ミャーク』にて、宮古島で儀式の継承が危機である事実を知り、僕なりに撮りながらどうするべきかを考えさせられました。彼女たちがやっているのは五穀豊穣や安産祈願など生活の中の切実な願いに対する祈りなのですが、五穀豊穣と言いながらも今はほとんど穀物を作っておらず、サトウキビに偏っていて、スーパーでは島外から輸送された食物が季節を問わず豊富に陳列されている。一方儀式のためにクジで選ばれた女性の司たちは、厳格な所では年間100日ほどの務めがあり、辞退する人も出てくる訳です。例えば粟の豊作祈願をする場合にも、その時神様に奉納するミキ(発酵飲料)を作るのですが、その材料となる粟の大部分を輸入物に頼っている。そこまでして豊作祈願をしなければいけないのか。ご先祖が続けてきたことをすることによって、ご先祖や神様と繋がるという普遍的な部分は明らかにあるのですが、そもそも何のためのお願いだったのかという点が抜け落ちていることに気付いたのです。選ばれる司の女性が大変な思いをしているのなら、収穫してもいない豊作祈願を行うことを見直し、負担を減らして続ける方法はないのか。僕は撮影中そういう思いを抱いていました。
 
 
DSCN7970.jpg

■五穀を取り戻す運動から、本当の意味でのいきた神歌が継承できると確信

――――現代において、食や祈りを考え直すきっかけは、そこにあったのですね。
大西:その後映画を作り終わって2ヶ月後に東日本大震災が起こり、スーパーマーケットから食べ物が一時的ですがなくなり、その時はショックでした。これが長期化するとマズイことになると思った時に宮古島の状況に思いを馳せると、災害時に島民の命を守る五穀が、ここまでなくなってしまったこと自体が問題であることに気付いたのです。五穀豊穣祈願を見直し、削った方がいいと思ったけれど、時間をかけてでもプランを立てて、命を繋げるだけのもの、五穀を取り戻す運動をしていけば、本当の意味での神事も継承され、また本当の意味での生きた神歌が歌われるだろうと分かりました。
 
今は一般の人と、作物を作る人との間を繋ぐような役割が必要であると感じ、一軒家でレストラン(café&market「プランタール」)を経営しています。菜園を作り、そこで作った野菜や近隣の提携農家から届いた野菜を使ったお料理を提供しています。直売もやっていますし、ゆくゆくは家庭菜園を普及させていきたいと思っています。高齢化社会の中、シニア世代が作った野菜をお互いに分けあうことで、地域コミュニティも活性化しますし、先細りしていく年金頼りで、若い人たちのお荷物になってしまうような高齢化の構造を逆転できる。音楽の原点を見つめていくうちに、自ずと人間の原点に到達したという思いがあります。種を植えてから実り、またその種を植えてそれが芽を出すまでを見ていると、絶対の真実がそこにありますから。
(江口由美)
 

 
<作品情報>
『津軽のカマリ』(2018年 日本 104分) 
監督・製作・撮影・編集: 大西功一(『スケッチ・オブ・ミャーク』)
出演:初代 高橋竹山、二代目 高橋竹山、高橋哲子、西川洋子他
2019年1月11日(金)~シネ・リーブル梅田、1月12日(土)京都シネマ、今冬〜元町映画館ほか全国順次公開
公式サイト⇒ http://tsugaru-kamari.com/   (C) 2018 Koichi Onishi

scramble-sub1-500.jpg『スクランブル』史上初!総額数億円の高級クラシックカーに囲まれたイベント試写会

■2017年9月19日(火)
■イベント会場     GLION MUSEUM
大阪市港区海岸通2丁目6-39(大阪・赤レンガ倉庫内)
TEL:06-6573-3006
月曜定休日(祝日の場合は翌日)
http://glion-museum.jp/


 
9月22日の公開を記念して、9/19(火)に映画「スクランブル」のイベント試写会を行いました。場所は高級クラシックカー約120台を展示する、GLION MUSEUM(大阪市港区・赤レンガ倉庫)。映画にも登場するクラシックカーと同じモデルの車ももちろん展示されています。

scramble-ivent-500-1.jpg

 scramble-ivent-500-2.jpg

この日のイベントには、いま吉本の若手で大活躍中のアキナ(秋山賢太、山名文和)のお二人がゲストで登壇。

実は映画の主人公が兄弟という設定だったので、当初は兄弟漫才師のミキをゲストブッキングしようとしていたところスケジュールが合わず、車ネタを持っている和牛も無理で、イベント前日にアキナに決まるというまさに「スクランブル」登板!
 

scramble-ivent-500-3.jpgscramble-ivent-500-4.jpg

 

 

 

 

 

 

 


「昨日、急にこの仕事が決まったんです。千鳥さんとかめっちゃ売れてる人の代役ならわかるんですが、(後輩の)ミキとか(の代役)は微妙・・・釈然としないですね」とボヤいて会場は笑いの渦へ。

「映画のPRイベントは初めてなんです。運はあると思いますよ。僕らが選ばれたのは、礼儀正しいからですよ。人柄です。損したのはあの2組です」と語り、代役というスクランブル登板にも前向きに映画をしっかりとPRしてくれました。

scramble-ivent-500-5.jpg


scramble-main-500.jpg『スクランブル』

『96時間』&『ワイルド・スピード』シリーズ制作陣最新作!
『ワイルド・スピード アイスブレイク』スコット・イーストウッド主演

<STORY>
オークション会場から搬出された世界に2台の37年型ブガッティを奪うはずだったアンドリュー (スコット・イーストウッド)とギャレット(フレディ・ソープ)のフォスター兄弟。しかし、落札したのが残忍なマフィアのモリエールだったために、兄弟は囚われの身に。命が助かる条件は、敵対するマフィアのクレンプが所有する62年型フェラーリ250GTOを1週間で盗むこと。寄せ集めチームで、犯罪史上最大の強奪作戦に挑むはずが、インターポールに追われ、アンドリューの恋人・ステファニーを人質に取られ、挙句の果てにはクレンプに計画を知られてしまう。だが、実はピンチさえも兄弟の〈計画〉だった──。


scramble-pos.jpg■2016年 フランス=アメリカ 1時間34分 ギャガ
■監督:アントニオ・ネグレ
■脚本:マイケル・ブラント/デレク・ハース(『ワイルド・スピード×2』)  
■製作:ピエール・モレル(『96時間』シリーズ)
■出演:スコット・イーストウッド/フレデリック・ソープ/ アナ・デ・アルマス
■公開日:2017年9月22日(金)~ TOHOシネマズみゆき座 他全国ロードショー
公式サイト⇒ http://gaga.ne.jp/scramble/
■© 2016 OVERDRIVE PRODUCTIONS – KINOLOGY – TF1 FILMS PRODUCTION – NEXUS FACTORY


(オフィシャル・レポートより)

Adaline-550.jpg

Disconnect-550.jpg『ディス/コネクト』

savages-550.jpg

ousama-s550.jpg『王様とボク』舞台挨拶レポート(12.9.22シネマート心斎橋にて)
 登壇者:前田哲監督、菅田将暉、松坂桃李、相葉裕樹

ousama-1.jpg(2012年 日本 1時間24分)
監督:前田哲
原作:やまだないと『王様とボク』イースト・プレス刊
出演:菅田将暉、松坂桃李、二階堂ふみ、相葉裕樹、松田美由紀
2012年9月22日(土)~シネマート新宿、シネマート心斎橋、10月20日(土)~京都みなみ会館他順次公開
公式サイト→http://www.o-boku.com/index.html

© 2012「王様とボク」製作委員会

6歳から12年間昏睡状態だった青年は、18歳で奇跡的に目覚めたが、心は6歳のままだった・・・。大人になることへの不安や揺れ動く心を描く青春ファンタジー『王様とボク』。シネマート心斎橋公開初日の舞台挨拶に、前田哲監督をはじめ本作が映画初主演となるミキオ役の菅田将暉、ミキオの幼なじみミキヒコ役の松坂桃李、同じく幼なじみトモナリ役の相葉裕樹が登壇した。立ち見も出たライブハウスのような熱気溢れる客席を前に、大阪出身の前田監督、菅田将暉の漫才のような絶妙のトークがさく裂した舞台挨拶の模様を紹介したい。


━━━初日のご挨拶をお願いします。
菅田: (立ち見満員の客席を見て)すごいですね。菅田将暉です。挨拶は短めに、今日はよろしくお願いします。
松坂:これぐらいの広さっていいですね。結構好きです。今日は来てくださってありがとうございます。よろしくお願いします。
相葉:こんばんは。相葉裕樹です。今日は楽しんでいってください。お願いします。
監督:こんばんは。今日はこんなに来ていただいて。今までずっと広い劇場だったので、これぐらいの距離で、近くてちょっと圧迫感がありますけど(笑)楽しんでいってください。よろしくお願いします。

ousama-s2.jpg━━━管田さんと前田監督の生まれ故郷、大阪での舞台挨拶はいかがですか?
菅田:それはうれしいですよね。
監督:僕は大阪で生まれて、ロンドンで育ちましたから。<会場爆笑>
菅田:(心斎橋アメリカ村は)普通に遊びに来てたところですから。
~観客より「おかえり」と声がかかって~ ただいま!
監督:彼は全然関西弁が抜けてないですからね。僕なんて全然関西弁がでないですから。<会場爆笑>
松坂:そんなにでないですか?
監督:「(標準語風に)でませんよ」

━━━ずばり大阪の印象はいかがですか?
相葉:熱気というか、笑顔で迎えてくれてありがとうございます。
松坂:何度か来させてもらっているんですけれど、「551」肉まんの・・・
菅田:だから、シュウマイを食べてほしいって何回も言っているんですけど!<会場爆笑>
松坂:(お客さまとの)距離が近いせいか、暖かいというか。菅田将暉が空港に着いたときに「よし、我慢、我慢しよう」と言ったんです。多分地元だから舞い上がってしまうので、ちょっと我慢しようと、自分の中でブレーキをかけていた感じはありました。
菅田:いま、関西弁禁止令が出ていまして。映画の撮影で今博多弁の役なんですが、監督に「おまえ普段から関西弁をしゃべっているから、方言が出ないんだ」と言われてずっと(関西弁を)抜いていたせいで、ここで舞い上がったら戻ってこれないだろうなという「よし」だったんです。

━━━監督はどのようなイメージでこの作品を作ったのですか?
監督:10年以上前にこの原作に出会って、「大人になるってどういうことだろう」という人が生きていく上でどうしてもぶつかる問題にトライしてみたかったんです。いろいろ失っていくことや、悲しみを知っていくことという負の要素も多分にあるので、そういうちょっと寂しい、悲しいものを描きたかったです。そのときにしか感じ得ない思いや感情を、台本を超えて三人の実際感じているものを出してもらいました。だから、映画がもし面白かったら3人の力ですし、つまらなかったら僕のせいです。

ousama-s3.jpg━━━監督の演出はいかがでしたか?
菅田:正解がなく、一つ一つの動きが試行錯誤です。計算してもダメだし、無意識でもダメというところで、毎回監督がシーンのイメージを伝えてくれました。監督がすごく良くて僕の中で超えられないぐらいです。
監督:僕も6歳で止まっていますので(笑)
松坂:役と僕本来のものをすり合わせて、引き出してくれるという感覚がすごく強かったです。頭ごなしに考えず、ニュートラルに自分が18歳だった頃をどこか隅に置きながら現場に参加した形ですね。
相葉:ぼくはこの現場は本当にフラットな状態で臨めました。シーン数が少ないですから、ワンカットワンカットを大事にしていきたいと思って相談しながらやっていきました。すごく居心地のいい現場で、楽しく過ごすことができました。

━━━(役者の演技を)引き出すコツはあるんですか?
監督:今の(舞台挨拶)も褒めるようにと、これも演出で。<会場爆笑> コツではなくて、同じ目線でどう立つことかだと思うんです。10代の役で、つい最近まで10代だった訳ですから。
菅田:僕まだ10代ですよ!
監督:まだ10代?一番年上かと思ってた。桃李くんはお兄ちゃんって感じなんですね。現場でも暖かい感じで、人を包み込むような感じがあって。相葉くんは、「こういう友達いるよね」といった感じでやってもらったんです。ちょっと近寄りがたいけど実はいい奴といった感じで、色々話しましたよね。そんなとこですかね。
菅田:ミキオは?
監督:一番大事なところを(笑)6歳を演じるのは非常に難しい。やりすぎたら、みんなが「さむー」といった感じになるし、今の現実的な6歳を演じても大人びていてシラッとしてしまう。前々から連ドラを見ていて、「この人はしっかり芝居を考えてできる人だな」と思っていたのですが、考えるということを一回捨ててもらって、いかに無心で演じてもらうか。現場に入ったときから6歳で、演じているとき以外も6歳だったんですね。だからみんな迷惑していました。桃李くんも本当に迷惑だったと思います。<会場大爆笑>
松坂:あー本当に現場に入ってからも6歳を相手にしている感じなので、ギャップを感じましたよ。
 

ousama-s1.jpg━━━(サポーターズイベントから選ばれたファンによる花束贈呈後)花束をいただいて、今の気持ちを一言お願いします。
菅田:花束をもらえると思っていなかったので。また地元でというのが!
監督:大阪で火を付けてもらわないと。
菅田:口コミでね。広げてください!
監督:(菅田に耳打ちして)家族に広めてください。
菅田:家族に広めてください!

━━━最後に一言お願いします。
菅田:自分たちがどうこう言うよりも、映画を観ていただけでうれしいですし、分かりやすいゴールのある映画ではないので、何回も観てほしいです。僕自身がこの映画にかかわってすごくいろんなことが変わったので、何かそういうきっかけになればうれしいです。今日は本当にありがとうございました。


大人になることは子どもの心を失うこと、大事なものを喪失するという恐怖感を主人公たちは抱えている。何がやりたいことなのか分からない、大人になることの責任や、自分で道を切り開かなければならないのに道が見えない不安に支配されている若者たちの姿は現代を象徴するかのようだ。一方、6歳の心を持つモリオは「大きくなったら王様になる」と目を輝かせている。ファンタジーの要素を交えて「大人になるとは」という永遠の命題を表現した前田監督の意欲作。期待の若手俳優たちが等身大で表現した希望と葛藤の青春物語は、どこかほろ苦く切ない後味を残した。(江口由美)

pedaru-1.jpg

(C) RFF INTERNATIONAL, PALLAS FILM, INFORG STUDIO, VERTIGO / EMOTIONFILM and DAKAR, 2008 All rights Reserved

1